中国の歴史と反日運動
こんばんは。
暗いタイトルでごめんなさい。
でも。これは書きたかった。
今日である必要もないのですが。
私が最初に中国を訪れたのが、2005年の夏。
このタイミング、実はぎりぎりでした。
というのも、この後、時の首相小泉氏が訪中し、今はわかりませんが、中国の中で歴史認識というか、国内のムードがガラッと変わったからです。
内容重いので、そして少々怖いので、できれば昼間に読んでいただいたほうが、いいかと。
ご存じかもしれませんが、中国・北京に日中戦争の始まった盧溝橋という橋があります。
そのすぐそばに、抗日戦争記念館があります。
最初は、この名前自体、私には拒絶反応ありました。
でも、この年に行った館内の展示はそんなもんではありませんでした。
いいですか、ここからは、昼間読んでください。
歴史の教科書に今どう書いてあるか、あいにく私は詳細を知りませんが、私の時代には、南京で日本軍が虐殺をしたと習いました。
ここからの話は、それに基づくものです。
日本では、それに関して触れるのがご法度という印象を現在では受けますが、
「日中の歴史において、ここはかなり重要だ」
と、2005年当時、留学に同行した日本人の教員からいわれたのを覚えています。
もとより、私は高校のときには関心があって、それなりには調べたりしてました。
それでも、甘かったと、このとき知りました。
2005年当時、この抗日戦争記念館には、
「虐殺館」
という名の部屋がありました。
(ちなみに翌年にはありませんでした。おそらく今もないかもしれません。)
そこに何があったか。
詳細は、さすがに言葉にはしにくいです。。。
でも、中国から見た、「日本軍の虐殺の様子」がものものしく展示されていました。
それは、この世のものとは思えず、また、自分と同じ日本人がしたと考えるだけで、ぞっとするようなものでした。いや、人間がすることとしても、ありえない。
息をのむという言葉があります。
でも、そこでは、息はしては申し訳ないと、私は思いました。
確かに、中国は愛国教育を戦略的にする国ではあります。
歴史を曲げる国でもあります。
だから、すべてが正しいとは思いません。
しかし、私はその時、こう思いました。
大切なことは、必ずしも真実ではないということです。
いいですか。
紛らわしいことをしなければ、よかったのです。
相手にそういう解釈の余地を与え、あるいは、そう思わせた時点でこちらに非があるということです。
セクハラだったら、どうでしょう。
そう思わせた時点で、負けではないですか?
虐殺はしてないわけではないと思います。実際、そういうことをしたという、日本人の証言は、文章として残っています。いくらなんでも、してないのに虐殺したという言葉は残さないと思います。
解釈の違いというか、規模の違いが、日中の差としてあるわけです。虐殺か、やむにやまれぬ戦争の犠牲か。
この展示を見たとき、私はそう思いました。
日本は認めたくない。だから、虐殺とは言わない。しかし、虐殺と言わせるものは残してしまった。だから、こういう場所があり、こういうことが教育として残されている。
同時に、中国って怖い。とも思いました。こんなもの作るのかと。
ええ、見たいものではありません。
日本だったら、見る人のことを考えて作らないでしょう。
ただ、それが正しいとは限らないと私は思います。
知らなければ、ならないことってあるので。
虐殺の舞台は主に南京だといわれています。
日本人とするとまぁ、南京の記念館くらいしか想像しないかも。
しかし、実際はまぁわかりません。
反日運動がおこると、どんな印象を受けるでしょうか。
過激だなと思うかもしれません。
しかし、日本もそれなりのことはしています。
それを日本人があまりに知らないだけなのです。
もっと、厳しいことを言えば、日本人がアメリカ人に甘いのです。(苦笑)
本来、されたことを忘れません。憎しみは残るものです。
したほうは忘れます。日本がした側なだけです。
長くなりました。ごめんなさい。
最後に一つ。
虐殺館がなくなった後、私が次にいったときである2006年、
日中は友好ムードでした。
館内には、時の中国主席と日本首相の握手した写真が飾られてました。
しかし、
抗日戦争記念館周辺の住民の、日本人に向ける目線は冷ややかなものに変わりありませんでした。戦争があったということは、そういうことです。