中原繭香の中国って、どんなとこ???

中原繭香 / 独立して働くことを考えるブロガー/ 会社員の傍ら、中国に関する情報提供をしている元中国専門添乗員の私【経歴】 学生時代に北京に短期留学 / 中国渡航歴46回 / 中国にご案内したお客様 のべ500名以上 / 中国34の行政区のうち、32の行政区に渡航 / 現在は、中国系ホテル勤務 / 一時病気により失職して、今も特殊な病気と闘いつつ、めげずにブログで情報発信/ 明るく楽しく生きることをモットーに、些細なことにも感じる様々な感情を表現します。

中国の歴史と反日運動

こんばんは。

暗いタイトルでごめんなさい。

でも。これは書きたかった。

今日である必要もないのですが。

 

私が最初に中国を訪れたのが、2005年の夏。

このタイミング、実はぎりぎりでした。

というのも、この後、時の首相小泉氏が訪中し、今はわかりませんが、中国の中で歴史認識というか、国内のムードがガラッと変わったからです。

 

内容重いので、そして少々怖いので、できれば昼間に読んでいただいたほうが、いいかと。

 

ご存じかもしれませんが、中国・北京に日中戦争の始まった盧溝橋という橋があります。

そのすぐそばに、抗日戦争記念館があります。

最初は、この名前自体、私には拒絶反応ありました。

でも、この年に行った館内の展示はそんなもんではありませんでした。

いいですか、ここからは、昼間読んでください。

 

歴史の教科書に今どう書いてあるか、あいにく私は詳細を知りませんが、私の時代には、南京で日本軍が虐殺をしたと習いました。

ここからの話は、それに基づくものです。

日本では、それに関して触れるのがご法度という印象を現在では受けますが、

「日中の歴史において、ここはかなり重要だ」

と、2005年当時、留学に同行した日本人の教員からいわれたのを覚えています。

もとより、私は高校のときには関心があって、それなりには調べたりしてました。

それでも、甘かったと、このとき知りました。

 

2005年当時、この抗日戦争記念館には、

「虐殺館」

という名の部屋がありました。

(ちなみに翌年にはありませんでした。おそらく今もないかもしれません。)

そこに何があったか。

詳細は、さすがに言葉にはしにくいです。。。

でも、中国から見た、「日本軍の虐殺の様子」がものものしく展示されていました。

それは、この世のものとは思えず、また、自分と同じ日本人がしたと考えるだけで、ぞっとするようなものでした。いや、人間がすることとしても、ありえない。

息をのむという言葉があります。

でも、そこでは、息はしては申し訳ないと、私は思いました。

確かに、中国は愛国教育を戦略的にする国ではあります。

歴史を曲げる国でもあります。

だから、すべてが正しいとは思いません。

しかし、私はその時、こう思いました。

大切なことは、必ずしも真実ではないということです。

いいですか。

紛らわしいことをしなければ、よかったのです。

相手にそういう解釈の余地を与え、あるいは、そう思わせた時点でこちらに非があるということです。

セクハラだったら、どうでしょう。

そう思わせた時点で、負けではないですか?

虐殺はしてないわけではないと思います。実際、そういうことをしたという、日本人の証言は、文章として残っています。いくらなんでも、してないのに虐殺したという言葉は残さないと思います。

解釈の違いというか、規模の違いが、日中の差としてあるわけです。虐殺か、やむにやまれぬ戦争の犠牲か。

この展示を見たとき、私はそう思いました。

日本は認めたくない。だから、虐殺とは言わない。しかし、虐殺と言わせるものは残してしまった。だから、こういう場所があり、こういうことが教育として残されている。

 

同時に、中国って怖い。とも思いました。こんなもの作るのかと。

ええ、見たいものではありません。

日本だったら、見る人のことを考えて作らないでしょう。

ただ、それが正しいとは限らないと私は思います。

知らなければ、ならないことってあるので。

 

虐殺の舞台は主に南京だといわれています。

日本人とするとまぁ、南京の記念館くらいしか想像しないかも。

しかし、実際はまぁわかりません。

 

反日運動がおこると、どんな印象を受けるでしょうか。

過激だなと思うかもしれません。

 

しかし、日本もそれなりのことはしています。

それを日本人があまりに知らないだけなのです。

もっと、厳しいことを言えば、日本人がアメリカ人に甘いのです。(苦笑)

本来、されたことを忘れません。憎しみは残るものです。

したほうは忘れます。日本がした側なだけです。

 

長くなりました。ごめんなさい。

 

最後に一つ。

虐殺館がなくなった後、私が次にいったときである2006年、

日中は友好ムードでした。

館内には、時の中国主席と日本首相の握手した写真が飾られてました。

しかし、

抗日戦争記念館周辺の住民の、日本人に向ける目線は冷ややかなものに変わりありませんでした。戦争があったということは、そういうことです。