中原繭香の中国って、どんなとこ???

もてる知識を最大限に生かして、人の役に立ちたい!というのが、モットーです。そのための目標が、公認心理師と臨床心理士です。

九寨溝最大の滝

今日はまた、九寨溝の写真から。

先日は、湖の写真を載せましたが、今度は滝の写真をご紹介します。

 

この滝は、諾日朗瀑布といいます。

なんと横幅約300mです。パノラマにしても収まらないサイズ感です。

高さもあり、迫力があります。

周りは水しぶきで服がぬれるほど。

九寨溝の観光スポットの中でも、もっともインパクトがある場所の一つです。

九寨溝は、湖のほとんどが、青色であるのに対し、ここでは透明な水が見られるという意味でも新鮮です。

 

なぜ、水が青いのかについては、また今度。

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臥龍のパンダたち@2007年11月

こんばんは。

 

今日は、四川大震災前に撮影した四川省臥龍のパンダ生育センターの一コマ。

このワンシーンだけでどこまで感じ取っていただけるか、わかりませんが、うっそうと茂る竹藪の中で、研究員より多いと感じさせるだけ、たくさんのパンダたちがのびのびと生活していました。

 

ここにご案内するには、今はさておき、当時は相当道が悪かったのですが、その苦労を忘れさせてくれるだけの癒し効果がありました。

 

震災後、雅安というところに一時移転していましたが、今はまた臥龍にいるらしい。

有名どころは成都のパンダ生育センターですが、お勧めは断然臥龍です。

四川省に行く機会があったら、ぜひ臥龍のパンダに癒されてください。笑。

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中国の美しい景色

こんばんは。 

今日は以前に撮った素敵な写真をアップロード。

これは、中国、四川省九寨溝のもの。

たくさんある湖の一つです。

大きな滝(瀑布)から、大きな面積の静かな湖まで数多くのポイントがあります。

今回、載せている写真は、その中の一つですが、通常通らないルートを通った時のもの。湖の裏手に回る遊歩道があり、そこから撮った景色です。

普段は、バスで観光するため、この遊歩道を使うことは、あまりありませんでした。

このツアーでは、時間にゆとりがあり、一部をバスから降りて、観光しました。

多くの人がバス観光のため、この遊歩道には人が少なく、のんびり観光できました。

 

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中国には、美しい景色がほかにもあります。

また次回。

再稼働

心新たに、ブログを再稼働させたいと思います。

 

とはいえ、いつまで心がもつのやら。

 

今日、ちょっとしたヒントを頂きました。

 

簡潔に言えば、経験の棚卸しについてなんですが、自分の持ってる知識で、他の人のお役に立てることはないかと、第三者の目で考えることについてです。

 

私の中国での体験は、なかなか面白いものだと思います。

匿名のサイトで、どこまでできるかわかりませんが、生かしたサイトに仕上げようと、改めて思いました。

今日この頃の私

中国の情報を発信するという、私の夢。

見てきた姿を、形にするという、私の夢。

講演をしたいという、私の夢。

 

ちょっと、迷いが。。。

 

生きるには、それなりのがまんが必要だったり。

折り合いをつけるという行為ができない私。

さて、

これから、どうしよう。

今は、やれることやっていくしかないけど。

これが、これからの私につながれば。

 

中国の自然

中国というと、悠久の歴史のイメージが強いかもしれませんが、自然の美しい国でもあります。

たとえば、四川省九寨溝というところがあります。名前くらいは聞いたことあるでしょうか。検索すれば、いくらでも美しい写真が出てくると思います。私もたくさん写真があったのですが、今書いてるPCには入ってなくて、、、。今度載せたいと思います。

ここは、湖の美しいところで、中国の観光が日本で非常にはやった数年前には、たくさんの日本人が訪れ、私も何度も添乗員としていきました。

中国で、私が好きな場所の一つです。

また行きたい。

ん?

 

もういいかも。苦笑。

 

今でも、中国旅行の筆頭に挙がってくる観光地でもあります。

ここには大気汚染のひどすぎる北京に行かなくともいけます。苦笑。

 

ここをみたら、ここに行ったら、中国のイメージ変わるかもしれません。

中国、広いんです。

 

ここに住んでいるのは、主に少数民族チベット族です。

彼らは、とても歓迎してくれます。

そして、非常にやさしい笑顔を向けてくれます。

今の日本ではお目にかかれないような、純粋な表情で、安らぐと思います。

中国には、まだ手つかずの自然がおおくあります。

そして、それらの多くは、長く少数民族によって守られてきました。

ぜひ、見に行ってみてください。

中国の歴史と反日運動

こんばんは。

暗いタイトルでごめんなさい。

でも。これは書きたかった。

今日である必要もないのですが。

 

私が最初に中国を訪れたのが、2005年の夏。

このタイミング、実はぎりぎりでした。

というのも、この後、時の首相小泉氏が訪中し、今はわかりませんが、中国の中で歴史認識というか、国内のムードがガラッと変わったからです。

 

内容重いので、そして少々怖いので、できれば昼間に読んでいただいたほうが、いいかと。

 

ご存じかもしれませんが、中国・北京に日中戦争の始まった盧溝橋という橋があります。

そのすぐそばに、抗日戦争記念館があります。

最初は、この名前自体、私には拒絶反応ありました。

でも、この年に行った館内の展示はそんなもんではありませんでした。

いいですか、ここからは、昼間読んでください。

 

歴史の教科書に今どう書いてあるか、あいにく私は詳細を知りませんが、私の時代には、南京で日本軍が虐殺をしたと習いました。

ここからの話は、それに基づくものです。

日本では、それに関して触れるのがご法度という印象を現在では受けますが、

「日中の歴史において、ここはかなり重要だ」

と、2005年当時、留学に同行した日本人の教員からいわれたのを覚えています。

もとより、私は高校のときには関心があって、それなりには調べたりしてました。

それでも、甘かったと、このとき知りました。

 

2005年当時、この抗日戦争記念館には、

「虐殺館」

という名の部屋がありました。

(ちなみに翌年にはありませんでした。おそらく今もないかもしれません。)

そこに何があったか。

詳細は、さすがに言葉にはしにくいです。。。

でも、中国から見た、「日本軍の虐殺の様子」がものものしく展示されていました。

それは、この世のものとは思えず、また、自分と同じ日本人がしたと考えるだけで、ぞっとするようなものでした。いや、人間がすることとしても、ありえない。

息をのむという言葉があります。

でも、そこでは、息はしては申し訳ないと、私は思いました。

確かに、中国は愛国教育を戦略的にする国ではあります。

歴史を曲げる国でもあります。

だから、すべてが正しいとは思いません。

しかし、私はその時、こう思いました。

大切なことは、必ずしも真実ではないということです。

いいですか。

紛らわしいことをしなければ、よかったのです。

相手にそういう解釈の余地を与え、あるいは、そう思わせた時点でこちらに非があるということです。

セクハラだったら、どうでしょう。

そう思わせた時点で、負けではないですか?

虐殺はしてないわけではないと思います。実際、そういうことをしたという、日本人の証言は、文章として残っています。いくらなんでも、してないのに虐殺したという言葉は残さないと思います。

解釈の違いというか、規模の違いが、日中の差としてあるわけです。虐殺か、やむにやまれぬ戦争の犠牲か。

この展示を見たとき、私はそう思いました。

日本は認めたくない。だから、虐殺とは言わない。しかし、虐殺と言わせるものは残してしまった。だから、こういう場所があり、こういうことが教育として残されている。

 

同時に、中国って怖い。とも思いました。こんなもの作るのかと。

ええ、見たいものではありません。

日本だったら、見る人のことを考えて作らないでしょう。

ただ、それが正しいとは限らないと私は思います。

知らなければ、ならないことってあるので。

 

虐殺の舞台は主に南京だといわれています。

日本人とするとまぁ、南京の記念館くらいしか想像しないかも。

しかし、実際はまぁわかりません。

 

反日運動がおこると、どんな印象を受けるでしょうか。

過激だなと思うかもしれません。

 

しかし、日本もそれなりのことはしています。

それを日本人があまりに知らないだけなのです。

もっと、厳しいことを言えば、日本人がアメリカ人に甘いのです。(苦笑)

本来、されたことを忘れません。憎しみは残るものです。

したほうは忘れます。日本がした側なだけです。

 

長くなりました。ごめんなさい。

 

最後に一つ。

虐殺館がなくなった後、私が次にいったときである2006年、

日中は友好ムードでした。

館内には、時の中国主席と日本首相の握手した写真が飾られてました。

しかし、

抗日戦争記念館周辺の住民の、日本人に向ける目線は冷ややかなものに変わりありませんでした。戦争があったということは、そういうことです。