中原繭香の中国って、どんなとこ???

もてる知識を最大限に生かして、人の役に立ちたい!というのが、モットーです。そのための目標が、公認心理師と臨床心理士です。

大連の港

おはようございます。

またしても、ご無沙汰してしまいました。

 

今日は、この写真についてお話します。

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この写真は、大連港の船着き場の建物です。

この建物には、記念館としての役割がありまして、昔の写真が飾ってあります。

なぜ、ここにそうした写真があるのか。。。

それは、戦後、満州からの帰国者の多くがここ大連港から出発したからです。多くの日本人は、ここから帰国するために、ひたすら大連港を目指したといいます。

ここに飾られているのは、そうした戦後の帰国者が多くいたころの大連港の写真なのです。

 

私は、ここにツアーの一つとして訪れました。

ツアーに大連港は含まれていませんでした。しかし、参加者の中に幼い頃、帰国者として、ここから出発した方が複数いました。その方々の希望に沿う形で、ガイドと相談し、訪れることとなりました。

この方々から、私は、その大変さ知りました。

 

ハルピンにいたその方は、幼い頃、両親や兄弟とともに帰国船に乗るため、ここ大連港を目指しました。しかし、食糧難や道中の厳しい環境もあり、兄弟や同行者の中には亡くなった方もいたそうです。この方は、命からがら両親とともに帰国したものの、日本でも大変苦労されたとのことでした。

いつか、大連へ、、、そう思いつつ、苦しかった時代を思うと来れなかったといいます。ご家族にもほとんどこの話してなかったそうで、私が聞いてる時に、今回同行されてたご家族も「初めて聞いた」とおっしゃっていました。それだけの苦労があったのでしょう。

ここに来たとき、写真を見ながら涙し、それでも「生きてる間に来れてよかった」とおっしゃたとき、大連港の歴史の重みを感じるとともに、大連港にきてよかったと思いました。

 

今回は、ちょっと重いけれども、歴史に関するお話でした。