中国行きたい〜〜!!!
おはようございます。
今日まで実家です。
昨日まで二日間、祖母と過ごしてましたが、祖母と話していると、ついつい、中国の話をしてしまいます。
私の初めて会った外国人は、祖母の知り合いの中国人でした。
祖母が自宅にその中国の方を招いたのは、私が、小学生の頃。
祖母は中国語がわからないし、お相手の方もまだ、日本語が流暢でなかった頃。
漢字や絵を使って、みんなで必死にこみゅにけーしょん取った日が、とても印象深いです。
イカの絵を描いて、料理の原材料を伝えたのは、昨日のようです。
彼その方との出会いが、私を中国に招いてくれました。
そんな話をしていると、今すぐにでも、中国に行きたくなります。
この目標、いつ叶うかな?
今日の写真は、チベット関係から。
新年のご挨拶。
皆さま、こんにちは。
今年もよろしくお願い申し上げます。
さて、夜中に更新しました抱負に基づき、、今年は、中国に関する活動を活性化したいと思います。
まずは、今いる会社に貢献しながら、自分の実力を高めたいと思います。
アウトバンドのツアー企画が十分できるように、実力を身につけ、実績を積みたいと思います。
それとともに、旅行業務取扱管理者を取得したいです。独立するには欠かせません。
実力を磨き、頑張ります。
今年の抱負
こんばんは。
ご無沙汰しておりました中原繭香です。
新しい仕事にもようやく慣れてきました。
ちょっと、週末が楽しめるようになったような。
新しい仕事は、今のところ中国ビザの代行事業です。
今年は、それに加えて、社長の推薦もあって、課長のもとで、いよいよアウトバンド旅行のお手伝いもする予定。
そこで、私のこれからについて宣言します。
最終目標は、
「2020年8月19日までに、中国旅行の企画プランナーとして、独立すること。必要に応じて、今の会社に手配を売り込んだりします。
一方、オフでの目標もあります。
今は、時間が取れずに流れている心理学の勉強をして、フリーのカウンセラーを有償、無償を問わず、活動すること。あわせて、北里大学院の臨床心理学のしゅうしかていに学び、臨床心理士を目指す勉強をすること。それにはまず、実務経験が必要なので、社会福祉士や精神保健福祉士を経由して福祉や医療のどちらにも対応できる実力をつけていきます。」
そして、今年の目標は、
「今の会社で、手配業務をしっかり習得し、現地に人脈を作ること。そして、hskは少なくとも3級は取得し、TOEICで700点以上に伸ばすこと。
オフでは、社会福祉士の養成校に入るためにお金を貯めること。」です。
さあ、今日から頑張ります。
中国最古の灌漑施設都江堰@中国四川省
おはようございます。
今日は、中国最古の灌漑施設について、ご紹介します。
ここは、中国四川省成近郊にある「都江堰」と呼ばれるところです。
パッと写真を見ると、ただの川の分岐点に見えるかもしれません。
でも、ここは、なんと2000年以上前の秦の時代に、人力で作られた灌漑施設で、今なお大切に使われている現役の灌漑施設です。
ここは、岷江と呼ばれる川にある施設です。
古代この岷江は度々氾濫し洪水を起こしていたとのことです。
そこで立ち上がったのが、李冰という役人です。
彼は、この灌漑施設を作ることで洪水を防げると考え、工事をすることにしました。
この工事には、多数の人々が駆り出されました。
それでも大工事だったため、多大な時間がかかり、完成したのは、李冰の息子、李二郎の時代でした。
結果として、岷江の洪水は落ち着き、人々から李親子は大変感謝されました。
その結果、彼ら李親子を祀る二王廟がすぐそばに作られました。
岷江の都江堰は今なお現役の灌漑施設で、岷江周辺の人々の生活を支えています。
古代の灌漑施設の跡が残っているというのは、それほど珍しいことではありませんが、今なお現役の施設というのは、大変珍しいとのことです。
この都江堰は青城山という信仰の山とともに、世界遺産に指定されています。
かなり規模の大きい施設です。
私はこれを見た時、どれだけの人力がかかり、またどれだけの犠牲を払ったのだろうかと想像し、何ともいえない気分になりました。中国ならではです。
もちろん、洪水を防ぎ続けているという点で、非常に価値の高い施設であることに違いありません。
それでも、こういうことができるのは、中国という国の大きさならではというか、古代の力ならでは、だと感じました。
地味な施設で、どういうものかわからないと、「これのどこがすごいの???」ということになりかねない施設です。
とにかくすごい灌漑施設であるということを伝えたくて、添乗員時代は、一生懸命伝えてきました。
私の文章で伝わるかわかりませんが、こういうものが古代に人力で作られたという状況を少しでも想像して頂けたら嬉しいです。
毛沢東に感謝する中国人の姿 by 中国の農村の風景
こんにちは。
今回は、以前とあるイベントに登壇して話して、共感と驚きをもって受け止められた毛沢東の話をします。
私がこの話を聞いたのは、かれこれ5年前くらいのこと。
今は違うかもしれないことは、ご了承ください。
私は添乗員として、中国各地を転々する生活をしていました。
その頃の話です。
とある農村を訪れた時のこと。
都市部ではもはや見られない毛沢東の絵が飾られていました。
そして、彼ら農村の方々は、嬉しそうにその姿を見つめていました。
その時、私は感じ取りました。
「この方々は、本当に毛沢東に感謝している」と。
彼らが感謝しているのには、歴史的背景がありますので、簡単に説明します。
毛沢東は、私たち日本人にとって、文化大革命を起こした罪な人か謎なひとというイメージでしょうか?少なくとも私にとっては、そうでした。
しかし、彼は、農村の人々に助けられて、中国の表舞台に戻って来られました。
そのため、おおくの小作農の人々に、土地を分け与えました。
そうした農業革命を行なった結果、毛沢東に感謝し、共産党を支持する層が、生まれています。
毛沢東の絵を嬉しげに見る彼らの姿を見た時、私はそのことを思いました。
多くの人にとって、確かに毛沢東は悪人だったかもしれません。
しかし、一部の人にとっては、救いでした。
人は、一面からだけで、評価されるべきではありません。
多面性を持った生き物です。
いいことだけするわけでも、悪いことだけするわけでもありません。
そんなことをお伝えしたくで、この話を書きました。
ではまた。
華山という、険しい山
この山は、華山と言います。
中国の陝西省にある華山という山です。
中国には五名山と呼ばれる山があり、その中の一つに数えられています。
この五名山というのは、中国の土着宗教の道教の聖地である、五つの山のことです。
私が言ったことがあるのは、五名山のうち、
この華山と嵩山の二つです。
嵩山のことは、また次回として、今回は華山です。
現在ではここ華山には、ロープウェイがあり、中腹あたりまで、行くことができます。
この写真では見られませんし、私自身実物を見たわけではありませんが、一部には、20cmほどの細い木道を歩く部分もあり、命がけと言われています。
今は、大部分を観光地としてみることができますが、当時の面影の一つとして、そうした木道があり、修行僧のほか、一部の観光客が通るようです。
というわけで、今回は華山についてでした。
次回は、嵩山について書きます。