中原繭香の中国って、どんなとこ???

もてる知識を最大限に生かして、人の役に立ちたい!というのが、モットーです。そのための目標が、公認心理師と臨床心理士です。

中国の食べ物「米豆腐」@湖南省芙蓉鎮

こんばんは。

今夜はちょっと変わった食べ物について、ご紹介。

この写真は、中国湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州永順県の芙蓉鎮(王村鎮)で食べた「米豆腐」です。

米豆腐は、この地の伝統的な食べ物で、中国の映画「芙蓉鎮」に登場したことで、非常に有名な食べ物になりました。

 

私は、ツアーで、ここ芙蓉鎮(王村鎮)を訪れた時に「正宗113号米豆腐店」にて食べました。その時の写真です。

米豆腐は舌触りがとても爽やかな食べ物で、それにからまる紅油の辛さと油っこさがくせになるおいしさでした。さらに、上に振りかけられている薬味が醸し出すある風味が独特でおいしさが増す。また、中に入っている汁のうまみを吸い込んだ大豆もおいしいく、噛むとうまみを感じられる。

 

<作り方>豆腐は、親指大の大きさに切られており、温水に浸した後、各種調味料を加えると、滑らかな豆腐の触感と、酸っぱくて辛い味が出来上がり、完成する。

特に、夏の暑い日に食べると、非常にさわやかな味わいを感じられる。      

 

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私は、これをおいしくいただきましたが、おいしく感じるかは、個人差があるかもしれません。

ここ、芙蓉鎮は、非常に田舎の小さな小さな村です。

個々が映画の舞台になったおかげで、各地から訪れる人が増えたといいます。昔ながらの建物も多く残っていて、古風な雰囲気を感じられるところでした。

 

今宵は、食べ物の、お話でした。

梅里雪山@雲南省

この山をご存じだろうか??

決してきれいに撮れた写真ではないが、これが、梅里雪山である。

現地の言葉で、カワカブと呼ばれる聖なる山です。

この山は、天気がよく写真の撮れることが大変少ない山です。

この写真も満足いくかといえば、そうではないかもしれないが、かろうじて山頂が拝見できるので、いいかなと思い、掲載します。

先日、掲載した、日中合同登山隊の慰霊碑のある、飛来寺から撮った写真です。

 

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この山に関しては、先日も紹介した小林尚礼さんの「梅里雪山 十七人の友を探して」に詳しく書かれています。

何年も前に読んだ本ですが、いま読み返していて、非常に感慨深い思いをします。

「梅里雪山 十七人の友を探して」

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ぜひ読んでみてほしいなと思います。

この山が、どのように崇拝され、大切にされているのか、そして、人間のエゴとは、ということを考えさせられます。

 

私自身は、この本を読んで、世界観が変わりました。

美しい景色@四川省

おはようございます。

今朝は、九さい溝の綺麗な写真を紹介します。
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少し赤く色づき始めた、秋の写真です。

さらに、湖面に波がなく、穏やかだったため、鏡のように、周りの景色を映しこんでいます。

私はこうした湖の景色が大好きです。

だから、九さい溝は、すきなスポットでした。

そして、一番多く訪れた場所でもあります。

 

九さい溝の写真は、たくさんあるので、時々掲載したいと、思います。

 

美しい写真で、爽やかな朝をお過ごし下さい。

大連の港

おはようございます。

またしても、ご無沙汰してしまいました。

 

今日は、この写真についてお話します。

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この写真は、大連港の船着き場の建物です。

この建物には、記念館としての役割がありまして、昔の写真が飾ってあります。

なぜ、ここにそうした写真があるのか。。。

それは、戦後、満州からの帰国者の多くがここ大連港から出発したからです。多くの日本人は、ここから帰国するために、ひたすら大連港を目指したといいます。

ここに飾られているのは、そうした戦後の帰国者が多くいたころの大連港の写真なのです。

 

私は、ここにツアーの一つとして訪れました。

ツアーに大連港は含まれていませんでした。しかし、参加者の中に幼い頃、帰国者として、ここから出発した方が複数いました。その方々の希望に沿う形で、ガイドと相談し、訪れることとなりました。

この方々から、私は、その大変さ知りました。

 

ハルピンにいたその方は、幼い頃、両親や兄弟とともに帰国船に乗るため、ここ大連港を目指しました。しかし、食糧難や道中の厳しい環境もあり、兄弟や同行者の中には亡くなった方もいたそうです。この方は、命からがら両親とともに帰国したものの、日本でも大変苦労されたとのことでした。

いつか、大連へ、、、そう思いつつ、苦しかった時代を思うと来れなかったといいます。ご家族にもほとんどこの話してなかったそうで、私が聞いてる時に、今回同行されてたご家族も「初めて聞いた」とおっしゃっていました。それだけの苦労があったのでしょう。

ここに来たとき、写真を見ながら涙し、それでも「生きてる間に来れてよかった」とおっしゃたとき、大連港の歴史の重みを感じるとともに、大連港にきてよかったと思いました。

 

今回は、ちょっと重いけれども、歴史に関するお話でした。

 

飛来寺の慰霊碑@雲南省

こんばんは。

ご無沙汰して、すみませんでした。

 

今日は、この写真について、紹介します。

この写真は、雲南省の梅里雪山を望む飛来寺というところにあります。

この塔は慰霊碑です。

梅里雪山は、未踏山です。それは、信仰の山であり、登るものとはされていないからです。

ところが、あるとき、日中合同登山隊が結成され、日本からは京都大学の学登山者が参加しました。

結果的には、全員なくなってしまいました。その方々を慰霊するために建てられた、チベット文化に基づく慰霊碑です。

彼ら登山隊は、現地の人々の反対を押し切って、登頂を目指しました。

結果として、遭難死となり、今も山に残されたものがあります。

 

詳細は、私も、小林尚礼さんの「梅里雪山 十七人の友を探して」という本で知りました。

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ここでは、尊い命が失われました。現地の人々の反対を押し切ったにも関わらず、現地の人々が、この一番美しく梅里雪山をのぞめる地に、慰霊碑を建てられていることに、なんというか、優しさや思いやりを感じました。

 

今宵は、こんなお話でした。

漢民族のつつましい生活@タクラマカン砂漠

こんばんは。

 

今日は、以前使ったこの写真についてコメントしようと思います。

 

この写真、タイトルの通り、タクラマカン砂漠のど真ん中で撮りました。

ここは、以前掲載したカラクリ湖に訪れた後に撮影したもの。

この場所は、タクラマカ砂漠の縦断道路の中にたくさんある、定点スポットの一つで、第95番です。

何か95番かというと、、、

タクラマカン砂漠縦断道路の管理者95番です。

管理者の仕事は縦断道路を維持するために、草木の管理をすることです。 

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下の写真をご覧ください。

砂嵐のために、くすんでいる道路の姿です。

見にくい写真ですみませんが。。

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この砂嵐を放置すると、いとも簡単に、縦断道路は砂漠に再び埋もれます。

そこで、彼ら管理者が、周囲にささやかながら草木を植え、埋蔵ポンプを使って水を草木に与え、草木を管理して、縦断道路を維持しています。

たしか、道の半分も来ていない時に、この95番の写真を撮ったので、倍近いスタッフがいるかもしれません。

彼らは、中国に雇われ、内地(都市部を中心としたウイグル自治区外の地域)からここタクラマカン砂漠に出稼ぎにやってきています。

条件は、子育ての終わった夫婦であること。

どちらかが任期中に死亡したら、それで終了。なぜなら、あまりにも孤独な仕事だからです。4㎞ごとにこのスポットは作られるため、人を見かけることがありません。よって、夫婦でなくては務まらないということなのです。

私たちは、ここを観光で訪れましたが、この道は、観光用ではありません。あたりを通るのは、トラックだけ。

タクラマカン砂漠には、油田が見つかっています。この油田からオイルを輸送するために、この縦断道路は作られました。そして、写真に写った女性のような漢民族は、道路を維持するためだけに、ここにいました。

彼らは日夜夫婦以外の人に会うことなく、ただ草木の面倒を見ます。

当然、店は存在しないので、定期的にくる配給に頼ります。

そのような人々がいて、都市部の人々の豊かな生活が守られていました

彼らの生活は大変つつましいものです。

さすがに申し訳ないので、写真にはおさめませんでしたが、自宅内も見せていただきましたが、最小限のものしかありませんでした。

彼らが必死に守るおかげで、自分たちはこの砂漠を縦断するのかと思うと息が詰まるような思いがしました。

今宵は、こんな、少々ショッキングなお話でした。

チベット族の村@九寨溝

こんばんは。

今日は、チベット族のことを紹介したいと思います。

 

チベット族といえば、当然チベットに住んでいると思うわけですが、さて、チベットとはどこでしょう???

多くの人が考えるチベットとは、いわゆるラサを含むチベット自治だと思います。実際、私もかかわるようになるまで、そこだけをチベットだと考

えていました。

しかし、チベット自治区とは、そもそも中国が定めた自治区の範囲であって、実際のチベット族がすんでいる地域すべてを指しているわけではありません。

チベット族は、実際には非常に広い範囲に住んでいて、たとえば、雲南省四川省青海省などにも多く住んでいます。

今回写真を出している九寨溝チベット族が住む場所の一つです。

 

九寨溝とは、そもそもどういう意味の地名なのか??

実は、「九つの(チベット族の住む)村のある谷」という意味です。

今回の写真は、そうした九寨溝チベットの村の一つです。

実際にはほとんどの村はすでに観光地化していて、ありのままの村というわけではないのですが、当時は一部の人が住んでいて、運が良ければ、家を見せていただくことができました。

美しい湖の数々に象徴される九寨溝ですが、こうした人々の文化も魅力の一つだと、私は感じました。

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